まず初めに、
長く1つのことを続けているとこういう素敵なことも起こるんだと、感慨深い思いです。
去年秋の初め頃、連絡をいただいた。
浜田さんと僕が90年代一緒に音楽を作っていた頃の未発表音源が見つかり、おそらくそれは「浜田さんと梁君がアルバム レコーディング中一緒にデモトラックを作ったが、アルバムには収録されず、結局未発表のままとなっていたもの」だと。 話を聞いて全く記憶にないので、それはおそらく僕ではないと思いますと返信した。
ところが…数日立ちそのデモトラックが送られてきた、あーこれは確かに僕だなぁ。でも一体いつだったのか見当もつかず。
当時はFather’s Sonツアー;年間100本以上の日本全国ツアーを終えしばしの休息後、バンドメンバー前提のアルバム(誰がために鐘は鳴る)のレコーディングにそのまま突入した頃だったはず。その後正確に確認され、1990年のものであったことが判明、そしてやはり僕が弾いていたことも判明。
浜田さんの歌は歌詞も出来上がっており、その時歌ったものが素晴らしく、その歌をそのまま生かした状態で新たに音楽を作り直すと言う提案をいただいたのが去年秋。
ちょうどその頃は浜田さんのファンクラブツアーFAN FUN FANの時期。公演メインとなる楽曲は僕が担当していた90年代初期2つのアルバム「誰がために鐘は鳴る」&「その永遠の1秒に」を中心にライブが構成され、そのツアーに合わせたデジタルテープ(の時代!)の確認をしていた時に見つかったと思われる。
実は昨年下半期は数多くの製作とライブが重なった時期で疲弊し、体調壊していたのも事実。
そんな時期この曲のアレンジ作業がスタート。しかしこの曲のアレンジに関しては一才悩まず、 すんなり導かれるように出来上がっていきました。
当初中編成の弦楽器と軽いバンド形式のプロトタイプを作って提案したところ、すぐGOサインが出て、よし行くぞ!と思った矢先、リリースは来年と言う話に。
ポーズしているうち、僕は一人で勝手にピアノ&弦カルテット4人の小編成も良いのではと思いつき着手した所、このバージョンも導かれるようにすんなり出来上がり「他にこういうのもできたけどどうでしょう?」と提案してみると、さらにいいね!と。しかし2024年に制作することにはならずここでプロジェクトは一時停止。
先ほどもお伝えしたように昨年秋以降は、開催中の大阪EXPO韓国間の音楽、ドキュメンタリーwho I am 2025、ユネスコ70周年献呈曲、韓国中央国立博物館展示「SAYUの部屋」音楽&コンサート、新規ジョンソンアリラン2曲、そして今年1月に行ったロンドンレコーディングの制作(まだ公表できず)が過密に重なっていた時期なので、2025への延期はむしろ体力的にラッキーだったのかもしれません。
話戻って昨年秋からのFAN FUN FANツアーではこの曲の歌なしバージョンがコンサート客出しBGMとして流れたんですよ、まだ完成形ではなかったけど。僕が伺った10月の有明ガーデンシアターの時からと記憶しますが、コンサート終わって一人でワクワクしていたな(笑)
そして2025年4月末からPeriodof BLUE 1990の製作が本格再開し、浜田さん歌入りのメインバージョンと同曲インストの2バージョンが収録されることに。2曲は多く共通点残しながらも、スケール感も質感も違います。もちろん演奏者も。
思い起こすと自作曲ではなく、他人曲を編曲アレンジすると言う作業はソロデビューしてから1度も行ってないので、かれこれももう30年ぶりの純粋アレンジ作業。(一昨年の我が心のマリア派除外して)もちろん歌ものは映像作品主題歌などは自分作曲&人に歌ってもらう作業はいくつかやっていましたが他の人の作品、しかも浜田さん曲を僕が2025年ぶりに作り直すということ自体、大きな運命を感じます。
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さて参加ミュージシャンは
弦セクション、吉田宇宙ストリングス(吉田翔平)
ギター;押尾コータローさん、長田進さん
SONY Studio乃木坂で録音
押尾さんと僕はよく一緒に音楽していますが、 彼にこのプロジェクト参加してもらったら絶対面白い!と頭に浮かび提案。
浜田さんと押尾さんのディレクターが同一人物と言うのもこれまた運命で、すんなり進行。
長田さんは中編成バージョン参加。この曲は彼がぴったりと当初より頭の中で決まってましたが、予想通りのギタープレイ。
吉田宇宙ストリングス、日本での弦レコーディングはいつも彼と、安定のパフォーマンス。
そして何より、35年前の声に「今の浜田さんが自分でハーモニー重ねている」と言うのが奇跡すぎます;涙
その他は僕が担当し、この軽井沢スタジオで録音&作業。
ピアノはこだわり抜いてレコーディング、フレーズや音色含め満足度高いかな。
そして今回は浜田さんから「ミックスは梁くんやる?」と聞かれ、即答!「やります」ミックスまで完結させました。
実は自分の作品を最終ミックスまで熱入れてやっていた時期が2005〜2010頃。
ソロアルバム含め、手がけた映像作品は自分で責任を持つと言う妙な信念から本格スタジオ機材を果敢に収集購入、それを活用してほとんどの作品を仕上げていました。
別にこれといった収集趣味のない自分が唯一機材収集に熱中し、エンジニアリングにも興味を持ち、コレクトしたのが今もここにあるスタジオ機材たち。世界中のビンテージアナログ機材をオンラインで探し周り、そして自分に合うものを購入した。(そして悪い人たちに騙されもした;涙) ある時からミックスまでやる時間がなくなり信頼するエンジニア;倉石裕二君に頼んでいますが、今回も多くの助言をもらい無事にミックス完成でミッション完了。倉石君感謝。
話戻ってこのPeriod of Blue 1990
歌を聴くと恐らく誰もが35年前をフラッシュバックするはず(年齢相応の方は^^;)
当時の思いや希望&人生を振り返り反芻し、そして最後は希望につながっていく、そして切ない思いも。
音楽的には現代に通じる普遍性、心を掴むストーリー性を重視した編曲構成。流れも歌詞に沿って展開し&各楽器がそれぞれ対話しているかのように呼応する。
そしてもう一つ、音楽で当時その場にいるような映像的情景描写をしたかったと言うのが僕のコンセプト。
35年前スタジオの片隅で一筆書きのようにスケッチされ、当時の「デジタルマルチテープ」の中でひっそり世に出るこの瞬間を待っていた「奇跡」のような曲、本当に感慨深いです。
最後にこの曲への「思い」は深いです。
1985医者を辞め家を飛び出し、1986年浜田さんと出会い、音楽を続け途中から違う道を歩みながら、、、
でも35年経ちこうしてまた音楽の接点が生まれた、なんて素敵なことでしょう。
長く音楽やっているとこんなことが起こるんだ、こういう巡り合わせがあるんだと。
信じられないという驚きとまさかの再会の喜び、そして最後に「感謝」です。
リリースは7/23
皆さんがこの曲を楽しんでくれること、切に願っています。
2025.06
梁邦彦