1ヶ月が経ってしまったけれど、去る5月13日東京Jz Bratという所で
ソロデビュー20周年記念Liveパーティをやった。
1996年11月4日にソロデビューアルバム「The Gate of Dreams」がリリースされたので、
「お、もうそんなに経ったのか」と「あれまだそんなもん?」と行ったり来たりな気持だけど、
とにかく20年という歳月が経ったし「何かしら」と思っていた矢先、
ギターの古川望くんが5月13日にJz Bratで自分たちが演る予定だったスケジュール空いたので、
日本でも梁くんのLIVEやろうよと有りがたい提案をしてくれた。
「13日の金曜日だけど」というオチまでついていて、これはなかなか良いかもと。
19の学生時代からミュージシャンとして仕事に関わり始め、25で家を飛び出し本業ミュージシャンに、
それから様々な音楽、アーティスト・ミュージシャンの方々との出会いがあり、
浜田省吾さん始め素敵なアーティストの後姿を間近に見つつ、いろんな経験させていただくうち、
それでは自分の言いたいことは何だろう、と思い始めたのが30代始め。
アーティストの方々の表現をお手伝いするのは素晴らしいけど、
もし仮に自分の楽曲(言語)をステージ中央で自分が奏でるとした場合、
その姿がはじめは全然見えてこなくて、サポートの合間を活用し自分の音楽を模索し始めた。
好きなモノ(ジャンル)が多く、やりたがり雑食的性格も相まってフォーカスを定めることが難しく
何度か挫折しそうになったが、継続は力なりで、続けるうち片鱗が少しづつ、
そしておぼろげに全体像が見え始めた頃から「これはやらねば」と覚悟を決めるようになった。
それが34の時だったかな。もちろんその頃はアレンジ、プロデュースなども平行していたし、
香港のロックバンド「ビヨンド」のプロデュースやジャッキー・チェンの映画サントラ参加も
相まってアジアにも関心が向いていた時期。
何しろ雑食&やりたがりな気質で、外へ外へと関心が向いていた。
その時期、ワールドミュージックにも目覚め始め、
アイリッシュダンスミュージカル「River Dance」からケルトミュージックに
どっぷり浸かり、かと思いきや幼い頃から親しんだクラシックミュージックや映画音楽との
接点を探し始めたり。とっちらかった状態で懸命に模索し続けた。
そういえば余談だけど、先日なくなった冨田勲さんは本当にロールモデルだったな。
手塚治虫作品とNHKの新日本紀行には多大な影響受けたし、
モノフォニック・シンセを多重録音して作り上げたドビュッシーの「月の光」を聞いた時は、
こんな事を始める人間がいるんだ!?と衝撃を受けた。
偉大な音楽家のご冥福をお祈りします。
話戻して、自分の姿を模索しデモを作り続けても、現実の「生」の姿はやはり見えてこない。
そんな中、友人がソロでLIVEやってみたらと、博多でピアノソロライブをやったことが
大きなきっかけとなり、ロードアンドスカイの高橋信彦さんがライブの打上げ席で
「よし、やってみよう」と言ってくれた。
デモの続きを一緒にやってみようという事かと思いきや、
ソロアルバムを作ろうということで、ユニバーサルジャパンからのアルバムリリースが現実となり、
時間をかけてじっくりやろうと1年程かけ、1996年春にALBUM完成&11月4日のリリースとなった。
その後も2枚目の「Into the Light」からロンドンオケレコーディングが始まったり
話は展開していくのだけど、今回はデビュー20年ということで、その辺はまた改めて。
こんな経緯で、僕は36歳でのソロデビュー:後発組なんだけど、まぁそれも自分らしいかなと思います。^^
振り返るといろんな活動させていただき、
多くの人達と関わり合いながらモノを作り上げていく過程は最高だし、
自分のLIVEも楽しいし、さぁこれから何やるかな~と考えるだけでワクワクしてきて、
ホントにありがたいことです。
そんなわけで今年は久しぶり再開した日本での活動も軌道にのせ、
もちろん韓国での活動も更に充実させ、多方面で頑張ろうと思っています。
夏以降~年末にかけて様々な活動を予定しているので、
またこちらでもお知らせします。
ソロデビュー20年ということにこだわるわけではないけど、
やはり動機づけというか、こう言うのって大事だなと思う。
それではまた。
梁邦彦
♪20周年記念Liveパーティのフォトギャラリー
http://ryokunihiko.com/bbs/board.php?bo_table=gallery1&wr_id=72