まずは表題の香港ロックバンドBeyondの海闊天空 (遥かなる夢に~Far Away)という曲がYOUTUBE 2011年9月投稿後、広東語として初の1億再生突破!
ということで今日は90年代にプロデュースで関わらせてもらった彼らとその曲についての話です。
1993年日本のバラエティー番組出演中の事故で惜しくも他界してしまった香港のロックバンドBeyondのリーダー兼リードボーカル;ウォン・カークイ(黄家駒) 通称 KOMA。
彼、アジア中華圏では僕たちの想像を「遥かに超えて」大スターで(当時初期は僕もよくわかっていなかった;汗)、今でも彼のフォロワーは膨大。
その事故の1年前BEYONDの日本デビューが決まり、僕がプロデュース担当することになりました。その日本デビュー2枚目にあたるアルバムに収録されたのがこの海闊天空 (遥かなる夢に~Far Away)です。
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実はKOMAが他界した1993年その時、僕は浜田省吾さんのアルバムミキシングで浜田さん達とLAにいました。夏の暑い日差しが照りつけるLAでその悲報を聞き、衝撃を受けた時の事は一生忘れられません。
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この海闊天空 を東京でレコーディングしていたときの事は非常に鮮明に記憶しています。彼らとアルバム収録曲を一緒に決めていく際、彼らにしては珍しくピアノをメインにした曲を作ってきました。この曲には彼らの明確なビジョンがあって、曲の全体を通じてピアノがメイン。この時点での曲タイトルは「Piano Song」。そしてピアノのイントロも間奏も全て僕に任せると言ったのでした。
どんな曲にしようかKOMAとスタジオのピアノで打ち合わせ。隣で彼が歌いながらいろいろ弾いているうちにイントロがあっという間に決まリ、しばし休憩。その間僕がいくつか考えた間奏のメロディーをKOMAに聞かせると、1番最初のメロディーがとても好きだと言い、ではこのメロディーに大編成の弦楽器を入れたらとても良くなるよ!と提案するとメンバー全員が大きくうなずき「それはいい!いつかオーケストラと一緒にライブでこの曲を演奏しよう!」と作り上げている途中からスタジオで盛り上がった思い出深い曲。
△ スタジアムツアー打ち上げ。演奏している写真がなくて残念
KOMAが他界した後、3人となったBeyondが僕に連絡をくれ、一緒にアルバムを作りKOMA不在で初ライブもやってみたい、一緒にやってくれないかとオファーをくれもちろん快諾した。彼らのコンサート規模は大きく、その復帰スタジアムツアーに音楽監督として参加、ライブではいつもアンコールでこの海闊天空 を演奏した。アジアツアー最終香港コロシアム3Daysの最終日、ステージで僕が海抜天空イントロを弾き始めるとKOMAの弟であるベースの黃家強;Steveが感極まり涙ぐんで歌えなくなってしまった。そして自分は歌えないので、ギターの黃貫中;Paulに代わりに歌ってくれとサインを送った。しかし彼は自分が歌う曲ではない、君が歌うべきだと辞退のサインを送った。気を取り直したSteveがほとんど声にならない掠れ声で歌い出した、そこにPaulも途中から加勢し海抜天空を合唱した。この曲の間、大きなスクリーンでは他界したボーカル KOMAの映像が流れていた。きっと彼らを応援していたに違いない。ちなみにこの曲の間、僕は涙でピアノの鍵盤が見えなかった。
△ (上)ロードアンドスカイの森安君、ローディの森君、HK在住の大澤さん&Allen @Malaysia (下) マレーシア5万人収容スタジアム スコールの後のリハーサル 96年5月30日
そんな自分のにとって思い出深い、かけがえのない曲が2011年9月のYouTube投稿以来「広東語として」初の1億回視聴突破を果たした。さらに2014年香港で起こったあの雨傘革命では、警察の暴力暴挙に抗議する多くの若者たちが、雨傘をさしながら非暴力でこの曲を大合唱した。
こうして振り返ると、これだけの人たちが共感してくれた「ピアノソング」に関われた運命に、そしてバンドメンバー達はもちろんサポートしてくれた方達に心から感謝しかありません。大澤さん、Allenどうもありがとう。
今日の話は僕が母国韓国を訪れる1998年より前の話でかなり時間が経っている。しかし当時の縁がつながり今でも中華圏含め色々な場所で音楽で繋がっていられるというのは不思議な気がします。正に運命は奇なり。でも一つ感じるのは、意識が外を向いていると窓が開いて新鮮な空気が入ってくるのだな、と思います。
今日は、先日届いた1億回突破のニュースがきっかけで、久しぶりに90年代中盤香港で活動した際の話でした。おめでとうKOMA&BEYOND。
梁邦彦
P.S 海抜天空の間奏のメロディー。僕のソロデビューアルバムGate of Dreamsをリリースする際3曲目 「Valley of Swan」は海闊天空の間奏部分をメインモチーフにして作曲しました。当時BEYONDメンバーたちにもKOMAの鎮魂の意味を含めあのメロディーを引用して作ったと伝え、もちろん快諾してくれた曲、今度ライブでもやろうかな。