My Music & Moment


2024.06.10 富良野にて

  •  WRITER : admin
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    24-06-21 11:03  

 

前回のブログでは6月8日帯広市内双葉幼稚園ソロピアノライブ&次の9日ランチパーティーを終え、その後六花の森を訪ねた話までしましたが、今回せっかくの北海道滞在なので次の日、あの富良野へ行ってきました。

 

天気は怪しく帯広では雨、富良野の天候は多少マシとは言ってもやはりすぐれない予測。

行くかどうか決断に迫られましたが、おそらく良くなるであろうと根拠のない判断のもと^^;いざ富良野へ。

帯広から富良野へ向かう最中すこしづつ雨が止み始め、映画「ぽっぽや」の舞台幌舞駅での写真も前回ブログにアップしましたが、ここから後がドラマチック。

 

峠を下り始めた頃、見え始めた富良野市やその先にそびえる山脈を覆ってていた雲が少しずつ消え始め、その隙間から幾筋の光が降臨!空全体が少しずつ明るくなり、富良野市到着時には全開晴天モード、なんと!

 

この日富良野に来た理由は1つ、東京大学富良野演習林という広大な自然の中で行われた1997年東京大学120周年記念イベントの場所をもう一度尋ねてみたいと言うこと。まだインターネットのない時代、当時NTTと東京大学共同制作で衛星を介して富良野の広大な自然の中で演奏する模様を東京大学安田講堂に中継ライブ中継すると言う企画。今ではそれほど珍しくはないけど、当時はそんなことできるのか?と言う状態だったのをはっきり覚えています。

 

当時僕がその演習林を知る由もなく、制作スタッフの皆さんと下見に来たのが 97年9月末だったような。その日現地到着は午後3時ごろ、既に日が傾き始め下見を終えた頃にはほぼ暗くなりかけており、 雲がかかっていたこともあり演奏場所の全貌、全景はよく把握はできず、広いなぁ&気持ちいいな~良さそうだなぁと言うイメージしか感じられなかったのが正直なところ。

それでも大丈夫いける!と制作スタッフからゴーサインが出て、日にちも10月26日に決定。

当時の僕は、セカンドアルバム「Into The Light」をリリースした直後&東京青山円形劇場でライブをしていた時期と重なっていました。

 

参加ミュージシャンはパーカッションの梯郁夫さんとデュオで完全生ライブ。

原っぱの上に設置されたステージの上に、グランドピアノとパッカッションの数々。一体どこからあのピアノは運ばれてきたんだろう?程度の素晴らしいフルサイズYAMAHAコンサートグランドでした。

フラットで広大な原野と言う利点を生かし、離れたところにもう一つステージを置き遠隔で一緒に演奏したらどうかと言う企画を僕が出し、梯さんが100メートル離れたステージ上スティールパンでピアノと合奏するシーンも。

 



 

 

ライブスタート時は快晴でしたが雲行きが徐々に怪しくなり、最後のValley of Swanが始まった頃には、ポツポツと降り始め、ライブ終了瞬間土砂降りのギリギリセーフ状態でしたが、今思うと衛星中継で雨対策何にもなしで初の衛星ライブ中継! あまりに無謀、今思い出してもよくやったなぁと感心します。でも天気が味方してくれた!

 

★あの時のライブが忘れられない理由、それは

演奏しながら見上げる。遠く黄金色の紅葉をした高い木立に日差しが振り注ぎ それが風にそよぐ。ゆっくり日差しが傾いていき、そよぐ木立の様子はスローモーションのよう。止まった&真空のような心地よい時間の流れ、そして通り過ぎていく風とその匂い。目前の景色は我を忘れるほど美しい。

深く呼吸し、周りの自然を感じながら演奏することの素晴らしさをその時初体験、野外での演奏がたまらなく好きになった原点がここにあるのだと思います。それほどインパクトの強かった東京大学演習林ライブ、1997年12月、10月27日。そんな場所にもう一度行ってみたかった。

 

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ただ東大演習富良野演習林は本当に広大、そして当時僕は連れて行ってもらっただけで、当時今のようなGPSもなくどこでやったか記憶もイメージも全くなし。ひたすら行ってみたいと言う思いから、富良野到着後すぐ東京大学演習林事務所を訪ねてみた。事務所に入り当時の説明しても窓口の方はピンとこない様子。それはそうだろうなぁと半ば諦めかけていたところ、ある人が「それって120周年の知の創造ですよね?」「そうですそうです、それです!」と梁邦彦。そこから急展開「当時自分はそこの車両交通整理をしていました」とその時、入室してきた他の方が、「自分も当時関わっていました」と流れが急展開。あそこの場所はですね…、と事細かに教えてくださり、もちろん向かうことに。やった!

 

そして向かったのがここ。







 

 

当時おそらく弾いたであろう場所でエアーピアノ。

原野と連立する木立、当時と変わらない。この場所は明らかに「持っている」場所だと思う。

そして一軒だけあったペンションは、インターネットも通信電波も届かない星の見えるペンションとして有名になり増改築の真っ最中でした。今度行ってみようかな。

 

出発時天候も悪く、たどり着ける可能性ほとんどないと思っていた矢先、ドラマティックに辿り着き当時の記憶と目の前の光景が重なった、素晴らしいサプライズの1日でした。

 

そして帰り際、富良野の名所;自然とアートが一体化しているカンパーナ六花亭にも赴き、前日赴いた帯広六花の森に引き続き、アートと自然が共存するとこんな次元に辿り着くんだなぁ改めて共感共鳴。月並みな表現だけど、自然の与えてくれるインスピレーションは計り知れなく、意識を持った人たちが関わることで成長し、こうして共存するのだなぁと。前回ソウルで5月21日トークショーに参加した映画「土に書く詩」の造園、造景家;チョンヨンソンさんのことを思い出したり。それってコンセプト自体全く同一で自分が強く共感するところなのです。

 



 

 

と言うことで、今回は27年ぶりに訪れた 富良野東京大学演習林 行われた東京大学120周年記念知の創造イベントのライブ「あの場所」にたどり着いた話でした。97年当時の写真は画質?ですが少しでも伝われば幸いです。

確か97年のVHSビデオがあったと思うので探してみようかな。見つかったら必ず公開しますので。

 

そして最後に今回富良野東京演習林にたどりつけたのは福島夫妻のおかげです。多方面に渡り本当に骨を追ってくださいました&そして何より楽しかった! 演習林事務所の方々も親切丁寧に対応してくださり(初めは驚いていたけど^^)無事にたどり着きました。今度改めてまた行きたい。

深く感謝します、どうもありがとう。

 

ではまた、あの時のように素晴らしい自然のどこかで演奏できる日が来ることを切望しつつ。

 

梁邦彦

 

P.S 次こそ、5/25&28のブログ後追い掲載しますので!